日本人(日本語)の平均的な読書スピードは400字〜600字といわれます。もちろん、本の内容によっても変わってくるでしょう。気軽に読める大衆小説と、一般教養書、専門書では同じ人でもかなり読むスピードは違うはずです。
速読術はこの3倍から10倍以上のスピードで読み、内容を理解するか、情報を脳に取り込む何らかの技術のことをいいます。
ひと口に速読術といっても、その方法を開発した団体や教室によって理論や方法はさまざまです。記憶術が開発者の個人名を頭につけて独自性を強調しているのにもかかわらず、その理論や原理、方法が同じものであるのとは対照的です。しかも、速読術の広告では、理論が科学的であることが必ず強調されています。
記憶術は実際にどれだけ覚えられるかを実演することによって納得させられるのに対して、速読術は実演することよりも、科学のよろいをまとった速読理論によって納得させようとするのが一般的です。
速読技術を実演によって証明しようにも、演者が本当に全部読んだのかを確認するのは不可能に近く、また普通の読書法と同程度に内容を理解したかどうかの確認方法も難しい。実演をやって見せたところで、どこかに「怪しげな空気」が漂ってしまう。そんなところから、巷の速読術教室や教材販売会社は「理論攻め」をせざるを得ないのかもしれません。
速読術は、1980年代に日本で大ブームになったとき、「1分間で10万字読める」とか、「1冊を1分で読める」というようなことを強調し過ぎたため、「マユツバ物」というイメージが定着し、やがて下火になってしまいました。
その後、速読術界では理論や方法に改良や併用・合体が行われ、さまざまな流派が誕生しました。現代の速読術を理解するためには、まず、1980年代までさかのぼり、そのルーツを知ることが肝要です。
広い意味での速読術には、読書術を発展させた欧米や日本の伝統的な速読法の流れと、韓国をルーツとする「キム式」「パク式」の流れ、それにアメリカで開発された「フォトリーディング」があります。通常、速読術という場合は、「キム式」「パク式」およびその改良型、各種混合型を指す場合が多いようです。
日本では、速読術が紹介されるはるか以前から、飛ばし読み、斜め読みなどの速読法がありました。ただし、速読術は通常そのようなものではないとされます。
欧米でも読書術の発展形として、指によるガイドや、文章構成を把握した要点拾い読み法、文字列のパターン認識能力向上法など、さまざまな速読法がありました。欧米で速読術という場合は、眼や脳の特別なトレーニングを伴わない、実用的な読書術の発展形をいいます。
欧米式の一部、文字列のパターン認識力を向上させるトレーニングなどは、次に説明する韓国をルーツとする速読術にも一部、採り入れられているものもあります。また、韓国ルーツの速読術とは一線を画する、伝統的な読書術・速読法を発展させたものもあります。
1980年代テレビでキム式の速読術が紹介されるや否や、日本では一大速読術ブームが巻き起こりました。キム式は、このあとに説明するパク式を土台にしながら、「文字列を画像のようにそのまま映像として頭に焼き付けて記憶する」という方式を採用しています。
日本の初期の速読術では、このキム式を真似た記憶術が主流でしたが、その基本となるのは後述する「眼筋トレーニング」や「右脳開発トレーニング」といったものでした。そこに文字列を画像のように取り込むという脈絡のない技法をつぎはぎしたものが、80年代の速読術でした。
パク式速読術を考案した韓国のパク氏によれば、キム式はパク式を模倣したものだということです(キム氏はもともとパク氏から速読術を学んだ)。しかし、パク式には「文字列の映像化」はなく、文字を一字一句漏らさず速く読む技術を基本としています。
キム式の理論によれば、「文字を読むのではなく、右脳に画像として写し取る」ということですから、両者は根本的に異なる方式ということになります。しかし、キム式の理論に一抹の不安を感じたのか、日本の速読術界はパク式を採り入れることで、習得の可能性を高めようとしました。
現代の日本の速読術にさまざまな方式があるのは、キム式とパク式の混合割合と、それを独自に改良、発展させた部分の違い、それに実用的な読書術を付け加えているかどうかの違いによるものだと考えてよいでしょう。
名前だけで判断すると、キム式の「文字を映像として記憶する」方式を連想させますが、どうやら違うようです。
フォトリーディング(photoreading)は米国ラーニングストラテジーズ社の登録商標になっており、正式名称はフォトリーディング・ホールマインド・システムといいます。右脳による高速情報処理の方法を使って「読む」もので、潜在意識を有効活用するのが習得のコツだとされます。
具体的には1ページ1秒くらいのスピードで、本を読むのではなく、絵を見るような感覚で「読み進んで」ゆきます。何も意識せず、記憶しようともせず、右脳に入った情報を意識下で取り出すというのが、フォトリーディングの特徴です。
なにやらサブリミナル効果に似ていますね。ちなみにサブリミナル効果はだれにも効果があるわけではなく、また一部の心理学者はそうした現象自体に否定的です。
実際、さまざまな実験が行われた結果、科学的にはサブリミナル効果は認められないとする結論のほうが圧倒的に多いようです。しかし、サブリミナル効果は絶対ないと証明されたわけでもなく、その真偽はともかく、テレビなどではサブリミナル効果を期待した何らかの仕掛けをすることが禁じられています。
以上から速読術を方法論的に分類すれば、次のようになります。習得しやすいと思われる順に並べました。
1.読書術の発展形、脳の認識能力を高めるもの
2.目の機能を高めるもの
3.文字を映像として捉えるもの
4.潜在意識の能力を発掘するもの
これらを複数組み合わせたものも多いので、どの方式がいいのかは経験してみなければわからないとしかいえません。
筆者(管理人)の経験でいえば、2の「目の機能を高めるもの」までは有効です。読書術ないしその発展形でこれまでの2〜3倍、目の機能を高めることを中心とした速読術で、3倍は可能な数字だと思います。計算上は合わせて6〜9倍ということになりましょうか。
しかし、「だれでも」という条件がつくと、せいぜい5倍というところかもしれません。もちろん、理解度をさほど落とさない条件の上で、です。
この数字は、速読術がある程度はできるようになったという人の平均的レベルではないでしょうか。もちろん、長期にわたってもっと必死で努力した人や、もともとその資質があった人はこれよりかなり上のレベルに到達するでしょうが…。
文字を映像として捉える方法は、できなかったので何ともいえませんが、できるという人は本当に内容を「理解」したのでしょうか。情報として脳に取り入れることとしっかり理解することは、当然ながら異なります。速読をしたあとで、何が書いてあったかのテストに答えられたからといって、理解した証明にはなりません。
理解度のチェックをするなら、明らかに文法的におかしい文や、事実関係が間違っている文をいくつか挿入し、それを指摘させるという方法が考えられます。いずれにしても真の理解は、その本一冊で人生観が変わることさえある深いものですから、速読に通常の読書で得られるレベルを求めるのは、望むほうがおかしいのかもしれません。
読書の目的から「深く理解する」という要素を除外すれば、「文字を映像として捉える速読法」が有効かもしれません。超能力的速読能力をめざすのなら、この方法しかないでしょう。ただし、「だれでも身につく」という保証がないのがネックですが…。
速読術のトレーニングは、初期の段階ではテキスト教材やカードなどを利用しましたが、パソコンが普及してからはパソコン画面を眺めてトレーニングする方法が主流になりました。
次に主な速読トレーニング法を紹介します。
お断りしておきますが、どの速読術教材にもあるものではありませんし、あったとしても名称が異なるかもしれません。また、この他にも各団体により独自のトレーニング法があります。
主に熟語を一度にたくさん視野にとらえて瞬時に理解するトレーニングです。だんだん文字数を多くしていきます。
眼球を上下、左右、斜めなどにすばやく動かすトレーニングです。副産物として、一部の仮性近視が治るとされますが、医学的には疑問符がつきます。
文字を捉える領域を徐々に拡大していきます。一度に2行、3行…と文字を捉えることができれば、読むスピードは大幅にアップします。
瞬時の視覚情報から内容を把握するトレーニングで、具体的にはいろいろな方法があり、目的もさまざまです。ある種の勘がよくなります。
声を出さずに読むことを黙読といいますが、視読は左脳で読もうとせず、右脳を使い、文字列を画像として捉えて「読む」ことをいいます。黙読では、無意識に心の中で声を出して読んでしまいますが、視読によって心の中で朗読することを断ち切り、スピードアップを図ります。
「速読術で10倍速く本が読めるようになる」というと、読書の好きな方から必ずといっていいほど返ってくる反論があります。
それは次のようなものです。
「小説やエッセイを速く読めたとして、何の得があるのか?」
「本は味わって読むもの。楽しみの時間が減るなんてつまらない」
この土俵で論争する限り、速読術は絶対に勝てないでしょう。なぜなら目的が異なるからです。
「頭脳向上のための読書術」のところでも述べましたが、読書には@学習・勉強、A知的好奇心、B知的生産という3つの目的があります。読書好きの方は主に知的好奇心を満たすために読んでいるわけで、読書そのものが目的化されています。ゆっくりお酒を楽しみたいところを、一気に飲んでおしまいにするなんて、とんでもないことだと思うのは当然です。
速読の本来の目的は時間の節約です。多少、理解や記憶を犠牲にしても早く読み終える、たくさん読める、ということに価値を見出すからこそ、速読の意味があるわけです。
速読術を身につける過程での副産物として、右脳が強化され頭がよくなるなどということは、抽象的過ぎる上、具体的な成果として現れません。時間の節約こそ唯一の目的だといえるでしょう。
そこで、速読術をやる意味は、「学習・勉強」か「知的生産」ということになります。
しかし、結論からいえば、受験対策として速読を勉強に利用するというのは、時間の節約という観点からはあまり大きな効果が期待できません。なぜなら、速読術は記憶と理解にとってはプラスになることが考えられないからです。速読術は知的生産の道具としてのみ効果を発揮するといえるでしょう。
もしも、受験に速読を利用したいなら、まず全体を把握するために速読術を使って通読し、内容を把握した上で、次にじっくり精読するという方法を採れば、より効果的でしょう。ただし、それでも記憶に関しては読んで理解しただけで覚えられるものは少なく、暗記という作業を別に行わなければなりません。受験対策の70〜80パーセントは暗記に費やされるのですから…。その意味では、受験にはむしろ記憶術が有効です。
速読術は、記憶や理解ということが重要ではなく、大量の情報に素早く目を通す必要のあるもの、つまり知的生産のための読書において最もその威力を発揮します。
知的生産とは企画・開発・制作などの現場でアイデアを探すこと、企画書や提案書を作ること、文章の構想を練ったり、執筆のための資料を探したりすることなど、仕事や研究上で新しいものを生み出すためのすべての営みのことをいいます。目を通すべき資料や書籍のすべてが自分にとって重要な情報とは限りません。必要なものだけを素早く、適確に見つけ出すために速読術を利用するのです。
膨大な資料に目を通すだけで、時間を浪費してしまうのは、創造的な仕事をする上で大きなマイナスです。たくさん仕事をやったような満足感はあっても、それだけでは情報を生かしたことにはなりません。速読術は時間の浪費を防ぐためのもの。脳をより創造的に使うための準備といえるでしょう。
速読術が有効に機能するためには、目を通す本や資料のジャンルに関して、一定程度の知識がすでにあることが前提になります。まったく未知の分野には速読術は適していません。
また、速読術を生かすためには、日本語読解力や読書術が水準以上の高さにあることも重要です。
いずれにしても、まずは読書術をしっかりと自分のものにして、その上でまだ不足なら速読術にチャレンジするというのが順番ではないかと思われます。
速読のトレーニングでは、どの方式を選ぶかを慎重に選び、まずは本で試したうえで、次に無料体験制度のある教室で試し、出来そうかどうかを肌で感じてから始めるのがよいでしょう。何しろ速読術は、他の習い事に比べて費用がかなり高いようですし、実用レベルになるまでに相当に時間も消費せねばなりません。
要は、「期待値×習得率」が「お金×時間×努力」を上回れば、速読術を試してみる価値があるというわけです。速読の習得率はどの教室も公表していないので、気になる方はそうしたデータがあるかどうかも含めて問い合わせてみるとよいでしょう。